新川柳作記念館 Ryusaku Shinkawa Memorial

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新川 柳作 生まれる

松任町安田界隈(昭和20年代)

1915年(大正4年)7月31日 石川県石川郡松任町(現・白山市)安田で私は生まれた。

松任町は加賀百万石の潘祖・前田利家公の嫡男・利長公の居城があった4万石の城下町で、加賀千代女の生まれたところでもある。日本の三名山として知られる白山を東南に望み、西に日本海の海鳴りを聞く加賀平野のほぼ中央部、百万石の城下町・金沢から南11キロのところに位置している。

当時の松任町は石川郡郡役所の所在地で人口5,500人の町で、周辺農村の農産物の集荷地としてなかなかの賑わいをみせていた。

父は刺し子足袋と西洋合羽の製造業を営んでいた新川與重、母はふでという。

真夏の暑い盛りに、母は漬け物などの置いてある納屋で急に産気づき、そこで生まれたようです。

母は謙虚な方であったのでしょう、子供が四人目ともなり遠慮がちといった母でした。そこへお隣の中西のお母さんが突然訪ねられ驚愕して座敷の方へ移して下さったとのことです。

私が生まれた当時の家族は、両親と当時8歳の長兄重信、5歳の姉八重、3歳の次兄重幸、それに末っ子で三男の私、幼名勝義(のちに柳作と改名)である。