新川柳作記念館 Ryusaku Shinkawa Memorial

ACE

九死に一生

日本海

1923年(大正12年)私が松任小学校低学年のころは、学校から帰るとお天気さえよけ れば、毎日のように次兄のあとについて付近の小川へ魚を取りに行っていました。

夏ともなれば泳いだりもしたものです。夏はとくに友達などと日本海まで一時間ほどの道を 歩いて、海水浴に行くのも一つの楽しみでした。行く途中も小川があれば、石橋の下などを潜っ て鯰などを取ったりもしました。

いつのことだったか、海へ泳ぎに行ったときのことです。

曇りがちの日で海岸へ着いたころは少し寒さを覚えました。海岸には人影も少なく、海は日 本海特有の白波の大きなうねりがありました。よせばよかったのですが、せっかく来たのだ からと海へ入りました。そのうち河口の方へ流されたと見えて異常を感じました。日本海は 遠浅でないうえ、河口付近は真水と海水が交流して独特の潮の流れとなっていて、背も立た なくなっていました。友達も私の異常に気付いたと見えて「おーい、流されているぞ・・・」 といって、傍へ泳いで来てくれました。私は彼の身体にしがみつきました。彼がいなければ 私はあるいは溺死していたかも知れないのです。

それ以来私は海へ行くのを止めました。そのうちに小学校にプールが出来て、私は本格的に 飛込みの練習をはじめ選手になったわけです。