新川柳作記念館 Ryusaku Shinkawa Memorial

ACE

税金を前納して徴用工に

長女・佐陽子誕生(昭和18 年)

当時は廃業をする者には廃業餞別金として、金 600円を支給する法令が出されていました。

私は 3年半の間に相応の貯えがあり、商人として廃業餞別を受け取る事はできませんでした。私は廃業届を所轄官庁に提出すると、今後の生活の事を考え大阪の南税務署に税金の前払いをお願いに行きました。私が南税務署の窓口で自主廃業の届けを出したことを報告し、これまでの税金つまり来年納付すべき税金を、今すぐ納めさせてほしいと話したところ、窓口の方はあっけにとられた表情で「納税日は来年なので、来年また来てくれ」の一点張りでした。しかしそれでは私が困るから、「お金が有るうちに納めさせてください」こんな押し問答のくり返しで足を運ぶこと三度、ようやく前納が認められました。そのときの納税証明書が新川柳作になっており、戦後、勝義から柳作に正式に名前を改名する際に家庭裁判所に証拠書類として提出し戸籍簿も訂正されました。

ようやく税金を前納し、さっぱりした気持ちになった私は、奈良に設立された職業訓練所に入所し、ハンマーの使い方や旋盤の操作から芋掘り作業まで教えられました。

当時は国民徴用令で軍需工場に勤める場合、事前に政府系の職業訓練所で訓練を受けると、どの工場で勤めるかを自分で選ぶ権利が与えられていました。訓練のあと郷里金沢市西金沢の朝日航空株式会社へ勤務することが決まりました。金沢へ行くまでに十日間程ありましたが、今日までで私の人生で一番のびのびと、何も考えることのいらぬ時でした。私は妻と生まれて間もない長女を伴って、生家に近いところに住居を構えて朝日航空に通う日々となりました。