新川柳作記念館 Ryusaku Shinkawa Memorial

ACE

社長邸での1年

加藤 廉吉社長

加藤忠商店では若い店員を1年間、南海沿線姫松(現大阪市住吉区)の社長邸で玄関番兼掃除番の仕事をして修業する制度がありました。

私は18歳になった年の初めに、その役目を仰せつかったのです。私の掃除好きと働きが、社長のお目にとまってのことのようでした。

社長邸での日課は掃除が中心である。

毎朝、お座敷や応接間の掃除を済ませて10時頃会社へ出勤し、午後3 時半頃には、又お邸に帰って庭の掃除やその他の雑用をするのです。この体験はあとあと大変よい勉強になりました。

社長ご夫婦の生活が思いのほか質素なものであったことや、ご夫婦の常におだやかな立ち居振る舞い、言葉遣い、使用人その他の人たちへの細やかな気配りなど学ぶことが多かったのです。

その一方でとんだ失敗やら笑いのタネもつくりました。

夏の暑い日であったと思います。すべての用事を終えてお風呂をいただいた私は、よい気持ちで自分の部屋に戻り、ヤレヤレと横になったところいつの間にか寝込んでしまったのです。その間に、女中の1人が私におやつの苺を運んできてくれていました。

私がふと目を覚ますと、目の前にたっぷりとミルクのかかった苺がおいてある。早速にいただき、そしてまたぐっすりと寝込んでしまった。

女中がお皿をとりにきた時には、私は前と同じ白河夜船、それなのに皿の中の苺はすっかりカラになっている。女中は思わず笑ってしまったそうである。このことは、ちょっとした話題になったようです。

とにかく、私はこうして学ぶことの多かった1年間の社長邸でのお勤めを無事に終えることができました。

南海電車で姫松から通い続けた間、会社の仕事は1日4時間くらいしかできなかったので、私は「いよいよ本格的に会社の仕事に専念できる」と心のはずむ思いでありました。