新川柳作記念館 Ryusaku Shinkawa Memorial

ACE

柄崎屋さんから暇をもらう

五圓札

仕事がようやく板についてきたのは、奉公して五ヶ月ぐらいたった頃であった。

ご主人ご夫婦からも格別に目をかけてもらうようになっていた。

9月に入社し、12月に初めてお給料として五円をいただいた。そのうち母に四円五十銭を初めて送ることができ、母に喜んでもらった。ご主人様は大変に立派な風采に加え、心の温かい方だった。また、奥様は、実にきれいな方で、ご夫婦とも定員に対する理解も深く、やさしさもまた格別で、私にもこまやかな心配りをされ、たびたび、ご主人の着ている衣類などを頂戴した。世間では、造り酒屋奉公はきびしいものと考えている人たちもいたが、私にとって柄崎屋は居心地のきわめてよい職場だった。そのまま勤めていたら、たぶん柄崎屋の番頭としての道を歩いていたであろう。

しかし、すでに大阪で就職していた長兄の重信が、私が酒屋に奉公していることを知り、大阪へ出てくるよう連絡してきたため、柄崎屋さんを去ることになったのである。

兄は母から、私が造り酒屋に奉公し、早朝の四時から働いていると聞いて驚き、かつ心配したのである。私の身体が小さく、仕事が無理だと思ったようで、兄からの急の連絡に私は驚いた。しかしながら母も賛成していたうえに、「母さんも大阪に一緒にいくから」と言うので、私はやむなくご主人に理由を話して、柄崎屋さんから暇をもらうことにした。