新川柳作記念館 Ryusaku Shinkawa Memorial

ACE

原因のいろいろ

ある日、広い店の間で番頭さんと二人、火鉢を囲んで雑談にふけっていました。

はじめは正座していたのですが、いつとはなしに二人とも横になってしまい、そのうちまだ明るいというのに寝込んでしまいました。あまり長い時間ではなかったと思います。間もなく表の大きなガラス戸がガラガラと明けられ、外出先から奥様が戻られたのです。ガラス戸はスリガラスなので外からは内は見えません。番頭さんは、その音にパット起き上がり「お帰りなさい」と両手をついてあいさつをしました。多年みにつけた修練というものでしょう。

私にはその機敏さがなかったのです。間一髪のことで起きる機会を失いました。

今さら起きてあいさつをしたところで、もう遅いとそのままの寝姿でいました。これはやはりよくなかった。

もう一つの失態は食事のことです。植野さまではよく鮪が出るのです。糠着けにも必ず魚がはいっているのです。奥様としては大変気を使って下さるのですが、小さいときから菜食生活だった私の口にはどうも合わないのです。折角作って下さる食事です。

好き嫌いは言えない。最初のうち無理に食べるというより、飲み込むようにしていたが、しかし、どうしても食べられなくなり、悪いことと自責の念にかられながら、紙に包み通学の途中に捨てるようになりました。そのことを私が番頭さんに話したのです。

それがそのまま奥様のお耳に入り「私の作る食事がそんなにいやなのですか!」といわれるようになったのです。今思えば世間知らずというか、相手のご好意と立場を考えない知恵のなさで、奥さんが気分を害されて当然である。

私は相次ぐ失態でだんだんと居ずらくなってしまった。

私のたび重なる不始末が母にも知れ、とうとう長兄の重信が植野さんご夫婦にお話しして暇をもらうことになった。