新川柳作記念館 Ryusaku Shinkawa Memorial

ACE

はじめてのお給金

金1円のお給金

1931年5月、入社して2週間後のこと、私は金1円のお給金をいただきました。

本当に有難いと心から思いました。ふと金沢の柄崎屋のことが思い出されました。

早朝4時からの労働、雪道でのお酒の配達の日々のこと等々を思うにつけて、私には加藤忠商店が極楽そのものでした。ついこの間までは酒屋の小僧、今日は日本でも指折りの鞄屋さん店員、人生とは誠に不思議なものだと感じいった次第です。少年時代の短かった柄崎屋での奉公も、いま思い直しても決して無駄などころか、一生を通じて大変役に立った体験だったと思っている次第です。

1 円をいただいた私は、帰郷している母へ手紙を書きました。お給金のこと、お店の勤めが大変張り合いがあること、休日には兄に会えて楽しいことなど。そして最後に「お母さん長生きして下さい。一緒に暮らせる将来を楽しみに頑張っています。くれぐれも無理しないでください」と、結ぶことを忘れませんでした。早くに父と死別した私にとって、母は心の支えであり、他人の中へ出るようになって、母の慈愛がしみじみと判れば判るほど、母への思いが大きくなって行きました。